【概要】 戦時上海・三部作
短編「上海フランス租界祁斉路三二○号」から始まる一連の作品群。
長編作品は、『破滅の王』 『ヘーゼルの密書』 『上海灯蛾』の三作。
最初の短編作品は 2013年に「SF宝石 2013」(光文社) に掲載され、その後、10年の歳月を費やして3つの長編作品が執筆された。いずれも、戦時上海(1930~1940年代)を主な舞台とし、作品ごとに、大陸内の他の土地、欧州、アジア各地などでも物語が展開する。
題材や主要登場人物は各作品ごとにまったく異なり、それぞれ別個の作品として読むことができる。どの作品も日本人が主人公で、物語は日本の近代史を忠実になぞりつつ、なおかつ大胆な虚構を交えながら進行する。
「上海フランス租界祁斉路三二〇号」
初出:「小説宝石 2013」(光文社)
現在は『夢みる葦笛』(光文社文庫)に収録。
1931年3月、東京帝国大学理学部化学科に所属していた地質学者の岡川義武は、恩師の勧めで、上海フランス租界に設立されたばかりの日中共同研究機関「上海自然科学研究所」にやってくる。同胞である日本人研究者と共に研究施設を調え、中国人研究者たちとの交流も深めていく中で、ただひとり、異質な雰囲気をまとう中国人研究者がいることに岡川は気づく。趙定夫と名乗るその人物は、この先、上海租界や大陸がどうなっていくのかその未来を知っていると口走る。やがて、言葉通りに第一次・第二次上海事変が始まり、岡川は日本と中国との歴史に呑み込まれていく。ただひとり、趙定夫だけが歴史の運命から逃れられる手段を知っており、岡川にその手段をとるように呼びかけるのだが――。
戦前から終戦にかけて、上海租界に実在した「上海自然科学研究所」と、ここに所属していた科学者(実在の人物)をモデルに描かれた、時と人をめぐる物語。
『破滅の王』
初版:2017年 文庫化:2019年
1943年 魔都・上海。
”最終兵器を巡る男たちの暗くて熱い戦い”
1943年6月、上海。かつては自治を認められた租界に、各国の領事館や銀行、さらには娼館やアヘン窟が立ち並び、「魔都」と呼ばれるほど繁栄を誇ったこの地も、太平洋戦争を境に日本軍に占領され、かつての輝きを失っていた。上海自然科学研究所で細菌学科の研究員として働く宮本敏明は、日本総領事館から呼び出しを受け、総領事代理の菱科と、南京で大使館附武官補佐官を務める灰塚少佐と面会する。宮本はふたりから重要機密文書の精査を依頼されるが、その内容は驚くべきものであった。「キング」と暗号名で呼ばれる治療法皆無の新種の細菌兵器の詳細であり、しかも論文は、途中で始まり途中で終わる不完全なものだった。宮本は治療薬の製造を依頼されるものの、それは取りも直さず、自らの手でその細菌兵器を完成させるということを意味していた。
ゆずれぬ信条を胸に抱き、戦時下で “それぞれの闘い” を選んだ、科学者たちと軍人の物語。
・第159回直木賞候補作
『ヘーゼルの密書』
初版:2021年
1938年~1940年、激動の上海租界。
太平洋戦争開戦の日が少しずつ近づく中、それでも日中和平工作に情熱を注ぎ、戦争を避けようとした人々がいた。
1939年上海。参謀本部ロシア課からの指示で蒋介石との和平交渉にあたっていた小野寺信陸軍中佐は、別ルートで中国との和平工作を進めていた影佐禎昭陸軍大佐からの激烈な抗議によって交渉の道を志半ばにして閉ざされる。失意のうちに帰国した小野寺と入れ替わるように上海へやってきたのは、盧溝橋事件で停戦交渉を担った経歴を持つ、今井武夫陸軍大佐。今井は小野寺と同期という間柄でもあった。今井大佐による新たな和平工作「桐工作」を支援するため、かつて小野寺中佐による和平交渉を手伝っていた民間人メンバーに、再び呼び出しがかかる。
日中英の3ヶ国語を操れる女性通訳者・倉地スミ、学術交流を通じて中国側に人脈を持つ上海自然科学研究所の生物学者・森塚啓、和平交渉者たちを警護する・新居周治。通信社の記者や、中国側の協力者も交えて結成された和平工作班は、この計画のために密命を帯び、在北京日本大使館から派遣された一等書記官・黒月敬次の指揮のもと、蒋介石を日中和平交渉の場へ呼び戻すための活動を開始する。
太平洋戦争直前に実際に企図され、幻の和平工作となった「桐工作」を背景に描かれる、ピース・フィーラーたちの物語。
『上海灯蛾』
初版:2023年
金と愛と暴力、そして自由。
栄光か破滅か。夜に生きる三人の男たち。
1934年、上海。共同租界の虹口で雑貨屋を営む次郎のもとへ、ひとりの日本人女性が、熱河省産の阿片煙膏とその種子を密かに持ち込み、買い手を見つけてほしいと依頼した。次郎は馴染みの中国人を通して上海の裏社会を支配する青幇の一員・楊直に接触して信頼を勝ち取るが、これをきっかけに、阿片芥子栽培の仕事へ引き摺り込まれてしまう。
やがて、上海では第二次上海事変が勃発。関東軍と青幇との間で、中支那での阿片取り引きをめぐって新たな駆け引きが始まった。その陰で、次郎と楊直はビルマの山中で阿片芥子の栽培を始め、インドシナ半島とその周辺でのモルヒネとヘロインの流通を目論む。一方、新品種を熱河省から持ち出されたことを知った関東軍は、特務機関に指示を出し、盗まれた阿片煙膏と芥子の種の追跡調査を始めた。
1934年~1945年にかけて、大陸での阿片売買によって得られる莫大な富と帝国の栄耀に群がり、灯火に引き寄せられる蛾のように熱狂して燃え尽きていった男たちの物語。
・第12回日本歴史時代作家協会賞「作品賞」受賞作
『上海灯蛾』に関する書評(Webで読めるもの)
・双葉社「COLORFUL」 2023年3月27日
大矢博子さん:” 何より人物がいい “ ” 破滅へと突き進む男たちの、熱く切ないドラマである “
https://colorful.futabanet.jp/articles/-/2041
・「週刊文春」 2023年5月25日号・「週刊文春」 2023年5月25日号
真藤順丈さん:” こうした物語でしか得られない魂の栄養素というものが、確実にあるのだ “
https://bunshun.jp/articles/-/62938
・「朝日新聞」(朝刊 書評欄) 2023年05月20日
澤田瞳子さん:” 混沌の時代に生きた人間の物語 “ ” 人間とは何かという根源的な問いを改めて考えずにはいられない “
https://book.asahi.com/article/14912087
『ヘーゼルの密書』に関する書評(Webで読めるもの)
・「週刊新潮」 2021年2月11日
杉江松恋さん:” 日中戦争中の和平工作を巡ってさまざまな思いが交差していく “
https://www.bookbang.jp/review/article/664926
・「東京新聞」2021年3月14日
細谷正充さん:” 日中和平工作の秘史 “
https://www.tokyo-np.co.jp/article/91313