『ヘーゼルの密書』発売から二週間余りが過ぎました。雑誌や新聞などに掲載される書評が出揃うのは、発売後一ヶ月から数ヶ月後ぐらいまでなので、いまはまだ、地道に本を売り伸ばしていかねばならない時期です。
さて、前回、1980年代と現代では、執筆に使える各種の資料が異なるという話をしました。
上海に関しては、まず、街の様相がまったく異なります。歴史的建築物として保存が指定された建物は整備されて残っていますが、それ以外は、戦後すぐに市民に開放されて家屋や娯楽施設やレストランなどに変わっており、さらに、繰り返し行われた上海の都市改造のたびに、街の印象は大きく変化しています。戦後であっても、いつ、どの時期に上海を訪れたかで、持っている印象はまったく異なるでしょう。
いまでは高層ビル群がぎっしりと建ち並んだ浦東も、戦前・戦中は畠以外は何もない土地でした。黄浦江を間に挟んで、何もなかった頃の浦東を想像してみると、タイムマシンで一瞬にして時代を飛び越えたような、ちょっと不思議な気分になります。
旧租界地は、戦中まであった道路や川の位置が一部はそのままですが、名称はほとんどが変わっており、川の一部は戦後の都市改造で地下に潜って、いまは道路になっているところもあります。租界だった地域の上海には、すべての道路に名前がついており、当時は、通りの名前と単純な番号の組み合わせだけで郵便物が届きました。道路のほとんどは、いまでも当時とほぼ変わらない形で残っていますが、勿論、戦中と戦後では道路名が変わっているので、そのつど、戦中の呼称を調べて原稿に反映させています。これが可能になる資料が国内には一冊あって、以前、シミルボンでも紹介しました。
●連載「本から本への散歩」
『上海歴史ガイドマップ』https://shimirubon.jp/columns/1687763
この本に記載されていない道路名は、中国のサイトへ行けば見つかります。あるいは、戦前・戦中の上海についての研究論文を読んでいると、道路名の一覧表が出てきたりします。
租界時代の歴史の一部で、日本では確認が難しい年号などは、上海市の公式サイトを見ればわかります。『上海歴史ガイドマップ』の初版には誤字があるので、あれ? 変だな……と思ったら、中国のサイトで調べてみると正確な情報が出てくる。便利な世の中になりました。
史料について、もう少しだけ。
歴史の専門家の話によると、たとえば大きな戦争がひとつ起き、終わったあと――その研究は、まず、戦史から始まるそうです。次に、外交を含めた政治の歴史。最後に、ようやく庶民史の研究まで手が届く。勿論、現実には、この順番通りに史料が明らかになるわけではありません。一般市民の中には、自分の戦中の体験談を子供や孫にすぐ話す方も大勢いますし(逆に、一生、語らずに終える方も大勢います)公文書も、ものによってはすぐには公開されず、何十年もの歳月を待つ必要があります。当事者の証言も、様々な事情から、亡くなる直前まで言及できる環境がそろわない場合も少なくありません。
日中戦争の研究に関しては、1970年代に入るまでは、取材者から訊ねられても「日中間の国交が回復してからでなければ何も言えない」と、証言を拒否した方もいました。このような選択をされた方が、国交回復後にあらためて証言したかどうかは、いまではもうわからないし、黙ったまま亡くなった方も数多くおられるでしょう。その一方で、終戦と同時に自決した参謀将校の日記などは、生前に処分されないまま残っていると、ほどなく研究者の手に渡り、貴重な史料として共有されています。
第一次世界大戦終戦100周年のときに、ある著名な人物の家族が戦地から自宅へ送った手紙が初めて公開され、やっと研究者の手が届くようになった……ということがあったそうで、このようなことは100年程度では普通に起きるので、どのような史料がそろっている時点で書くのか、それによって作品の個性は変わります。待てば待つほど、詳細に研究された資料が蓄積されて、書籍の形で表へ出てくる可能性が高くなる。ただし、国内の専門書は絶版速度がはやいので、入手時期を逃すと閲覧は困難になります。専門書ほど電子書籍化して、いつの時代でも閲覧可能にしてほしい――これは、専門家ではなくても歴史を知りたいすべての方にとって、切実な願望でしょう。
(電子書籍だと、検索で特定の用語を探すのも便利ですし)
専門家の研究によってきちんと裏付けがなされ、正確な記述を確認できる書物は、いつまでも読める状態であってほしいです。
(※この項、続きます)