【特集】戦時上海・三部作/完結へ向けての助走(1)

1月19日に、紙版と電子版の同時刊行で、『ヘーゼルの密書』(光文社)が発売されました。
https://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334913823

コロナ禍により、書店や出版社の方々が販売に苦労しておられる状況下での刊行となりましたが、ネットでの告知・新聞広告などをきっかけに購入して下さった皆様のおかげで、少しずつ、在庫が動いているようです。本当にありがたいことです。心より御礼申し上げます。

「こんなときだからこそ、家で本を読む習慣が見直されているんですよ」
と、励ましてくれた友人たち、編集者の方々。ベストセラーとは縁遠い場所で仕事をしている私にとって、大変心強い言葉です。ありがとうございました。

刊行を記念して、戦時上海・三部作に関する投稿を、しばらく、こちらで連載します。普段なら、トークイベントで話すような事柄ですが、今回は私のほうの都合で、文字情報としてこちらに記録しておくこととなりました。
「ネタバレは無し」という方針ですが、事前に余分な情報を入れたくない方は、作品を読み終えてから、ご都合のよいときに戻ってきて頂ければ幸いです。

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さて、戦時上海・三部作は、公的には(出版社からは)シリーズとは銘打たれていません。刊行も複数社にまたがっています。しかし、物語の時代背景が同じなので、便宜上、私自身がこのような名称で統一し、各所での内容紹介を行っています。
『破滅の王』『ヘーゼルの密書』『上海灯蛾』の三冊で、ひとつのカテゴリとなりますが、ストーリーがつながっているわけではありません。同時代の上海を、別々の立場の登場人物に焦点をあてながら、描いていると考えて下さい。

二冊の長編が刊行済みで、シリーズの掉尾を飾る『上海灯蛾』の連載が、今月から「小説推理」で始まりました。この上海シリーズには、同時代を背景にした短編SFが、長編に先行する形で番外編として存在しています。2013年に四六判ソフトカバーの形式で発売されたアンソロジー『SF宝石 2013』に掲載された、「上海フランス租界祁斉路三二○号」という作品がそれです。のちに書いた長編と違って、とても情緒的な雰囲気の強い作品で、読者の方々からも、しばしば、ありがたい反応を頂いています。私自身、シリーズの長編を書いたあとでも、大変気に入っている一作です。

「上海フランス租界祁斉路三二○号」は、いまでは『夢みる葦笛』(光文社文庫)に収録されています。こちらも、紙版と電子版の両方で発売中です。この短編は、オーシャンクロニクル・シリーズの『深紅の碑文』(ハヤカワ文庫 上・下)(上巻) (下巻) と同時進行で執筆したので、当時、執筆時間のやりくりが、とても大変だったことをいまでもよく覚えています。

この短編を手がけた時点で、戦時上海シリーズの長編版の構想は既にできあがっていたのですが、何しろ私は、それまで本格的な歴史小説を手がけたことがなく、「ちゃんと書けるのか?」という不安があったので、まずはSF短編の形で試してみたのが、この作品です。そのため、モチーフの一部が重なっています。同じ題材を、SFの眼/歴史小説の眼、で書き分けた感じになっています。
長編の構想が先にあり、そこから短編として切り出して作品化した、という意味では、
『魚舟・獣舟』(光文社文庫)表題作と、『華竜の宮』(ハヤカワ文庫 上・下)(上巻) (下巻) の関係に似ています。

「上海フランス租界祁斉路三二○号」の中で、ほんの少しだけ出てくる和平工作の話は、石原莞爾が指揮していた筋の和平工作なのですが、当時、石原は既に社会的な影響力を失っていたので、和平工作自体も実らずに終わります(史実です) この和平工作に協力していた科学者・岡田家武(作中では「岡川」)もまた、その努力が報われずに終わった和平工作者のひとりなのでした。なお、小野寺工作に協力していた科学者は、岡田と同じく上海自然科学研究所に属していた、別の科の科学者です。

(※この項、続きます)