報告(06・終) 世界を作る・世界を観察する

今回の記事で、公開分のまとめは終わりです。長い文章にお付き合い頂き、誠にありがとうございました。細々としたことは、また別の記事で触れたり、ミューズ叢書でまとめ直す形になります。今年の上半期はかなり忙しくなりそうなので、ブログの更新は途絶えがちになりますが、新作の発表が幾つか控えておりますので、本来の仕事であるそちらを楽しんで頂ければ幸いです。

さて、私は奇妙な世界の物語ばかり書いているので、インタビューなどで、「どうやって、そういう世界や架空の生き物を考えついたり、作ったりしているのですか」という質問を、最近、よく頂くようになりました。
これは、たぶん、作家さんごとに方法論が違うのではないかと思います。
具体的な現代知識をベースに、きっちりと論理的に組み上げて架空の存在を作る方もいれば、なんとなく全体のイメージが一気に降ってくるという方(降ってきたときには、すべての論理が完成されている)もいます。でも、「イメージが降ってくる」タイプの方でも、降ってくるまでの間に蓄積されていた知識や発想が必ず影響しているはずで、そこへ至るまでの道程を、意識するかしないかの違いでしょう。無意識下では、独自の論理を積んでおられるのではなかと予想しています。また、書き手によっては、作品ごとに方法論を変える方もいるでしょう。正解というものがない分野ですから、書き手がそれぞれに、好きな方法を試せばよいと思います。

私は「報告(02)」で書いたように、あらゆるものに先行して「世界が先にある」タイプの書き手なので、「SF作品になるように、わざわざ特別な設定を作って、それに沿う形で物語を転がす」という方法はとりません。自分にとって、書くこととは、即ち、観察です。「世界が先にある」とは、そういう意味です。観察される世界は、常に、現実と等価であり同質です。だから、世界は私の好きなようには動かないし、私が未だに知らない混沌を無限に孕んでいる。なればこそ、時間をかけてそれらを充分に観察し、隅々まで記述することに意味があるわけです。記述に言語を使っているのは、たまたま、この方面が表現方法として自分にフィットしたからで、たとえば別の方面に表現の才能があったなら、この方法は絵画でも音楽でもよかった、演劇でもよかった。あるいは、一般的な創作活動という形をとる必要すらなかったかもしれません。出版社を立ち上げて優秀な書き手を育て、その方々をバックアップするとか、そういう形でもよかったと思うのですが、たまたま、私は書く側に回ってしまいました。でも、創作活動を始めるにあたって、出版社ごと一から作ってしまうというのは、書き手にとってひとつの夢の形ですね。現代においては、電子出版によるセルフパブリッシングの発展で、これも、ただの夢想ではなくなりました。

奇妙な物語を書くのは大変面白いです。それは黙示的です。黙示的な作品では、現実をそのまま書くような書き方はしません。黙示的な作品の中では、現実に起きたこと/将来、現実にも起こり得るかもしれないことは、すべて暗喩として語られ、ときには突拍子もない形にまで歪められて語られますが、実は、常に、真実のある方向性を探ろうとしています。こういう世界で、こういう試みを行うことは、大変刺激的で、興味深い行為です。これからも、こういう書き方を続けたいと思っています。

長文に最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。