話を元へ戻す。
戦時上海というと、それまでの作品では、スパイ小説や謀略小説や裏社会を描いた趣が強かった。実際、こういった作品はいまでも書かれ続けている。定番の展開として人気があるからだ。私自身も、三部作の中に、そういった題材を部分的に含ませている。
だが、『破滅の王』執筆のための関連書に目を通していたときには、こういった題材以外にも何かないのかと思い、根がSFを書く作家であることも影響して、「当時の上海租界の科学水準は、どれぐらいだったのだろうか」と気になってきた。
そこで、科学方面について調べていくうちに、佐伯修さんの著書『上海自然科学研究所 科学者たちの日中戦争』と出会ったのだ。上海フランス租界に、日中共同研究機関「上海自然科学研究所」なるものが存在していたことを知り、そこで活動していた人たちの話を知って、飛びあがるほど驚いた。現代人とほぼ同じ視点で思考するユニークな日本人科学者たち、医学者であり文学者でもあった陶晶孫。魯迅、夏衍、郁達夫、郭沫若などの名前も出てくる。密かに日中和平工作に関与していた日本人科学者のうちのひとりは、なんと小野寺工作に関与していた記録が残っている。石井四郎が研究所を訪問見学した事実まであった。
自分が書くならこの題材しかないと、このとき、はっきりとわかった。科学絡みの話だから、絶対にSF作家にしかうまく扱えない歴史だと確信した。科学が絡む分野には、理系と文系をつなぐ(科学の歴史を調べる)「科学史」という分野があるのだが、私は子供の頃から科学史関連の本を読むのがとても好きだったので、その嗜好が題材とぴったり重なったのだ。
書き上げた作品を、「誰が」「どんな読者が」支持してくれるのか、それは想像もつかなかった。だが、書かずにはおれなかった。これまで、どんな作家も見せてくれなかった街の姿が、目の前の資料の中には無限に広がっていたのだ。それは戦前・戦中に上海に渡った当時の小説家が書いたものや、ミステリ作家が描いてきた上海とは、まるで違う貌をしていた。科学という側面から見るだけで、それまで知っていた上海租界とは別物のような町の姿が、くっきりと浮かび上がってきたのだ。
ただ、編集者との話し合いで冒険小説にすることが決まっていたので、科学史だけを描くわけにはいかなかった。そこで、科学に馴染みのない読者でも直感的に(生活レベルで)わかりやすい、細菌兵器の話にすることに決めた。
単行本化のときに付け加えた最後の灰塚の章は、10代の頃に出会った海外冒険小説への愛をそのまま綴った部分だ。誰にも理解されなくてもいいと思っていた。創作物は、必ずしもその内容のすべてが受け手に理解されなくてもよいのだ。受け手が何ひとつ理解していない/しないままでも、それに触れることで激しく心が揺さぶられる――そういった種類の感動はいくらでもあるのだから(「なんかよくわからんが感動した!」というときのアレ)。それもまた間違いなく、フィクションに触れたときの喜びのひとつなのだ。
他の誰でもなく、これは「自分が」書くことにこそ大きな意味があるのだと強く信じた。そして、「小説推理」誌上で『破滅の王』の連載を始めた。