SF作家の堀晃さんの話によると、昔のSF作家志望者には、まず初めにショートショートを書き、次に短編を書き、やがて長編執筆へと進んでいくパターンが多かったそうです。これには時代も影響していたのではないかと思います。当時、日本のSF界では、「アマチュアがSF系同人誌に短編作品を送る」→「主宰者が評価して同人誌に掲載する」→「その同人誌が出版社に送られ、編集者の目に留まった作品が商業誌に転載される」→「これによって書き手がプロ作家としてデビュー」というルートがあったそうです。長編ではなく、短編や中編でデビューする方法のひとつです。一般文学系の同人誌でも似たルートがありました。一般の事情については、筒井康隆さんの『大いなる助走』(文春文庫)を読んで頂くと、当時の雰囲気の片鱗をうかがい知ることができます。筒井さん自身も、ご家族と共に運営していた同人誌「NULL」に掲載された短編が江戸川乱歩氏の目に留まり(「NULL」は各出版社やSF関係者に送付されていました)雑誌『宝石』に転載。これが実質的なデビューとなっています(* ハヤカワ・SFコンテストへの応募はその後)
ここでいう「同人誌」は、私たちがよく知っている漫画やアニメの二次創作系同人誌とは異なります。同人誌の主宰者が、できあがった本を出版社の文芸編集部へ送ることを前提としており、参加者もそれを了解したうえで同人誌に寄稿するというタイプのインディーズ出版です。純文学系ではいまでも存在しているはずで、文芸雑誌に「同人誌評」というコーナーがあれば、そこで取りあげられているのは、このような作品群です。
私がアマチュアだった時代(1990年代)には、SF同人誌から商業誌への転載でデビューするというルートは既に途絶えていましたが、たとえば超有名な(というか歴史的存在である)SF同人誌「宇宙塵」(主宰:柴野拓美さん)の同人メンバーの方が複数プロデビューしたり、この同人誌に掲載された作品が後に長編化されて商業出版物になったりとか、そういうことは、まだ目の当たりにしていました。私が所属していたSF同人誌「ソリトン」では、商業誌への転載は最後まで一度もありませんでしたが、「ソリトン」のメンバーでプロデビューした方は私の他にもおられます。Webでの発表を居場所とし、生涯アマチュア作家としての立場を貫き、亡くなるまでレベルの高い創作活動を続けた方もおられます。ペンネームを変えてデビューした方がおられるなら、この数はもう少し増えるかもしれません。(*1)
小説を書く方にとって、いまはとても選択肢が増えています。SF系の新人賞ならば、短編は東京創元社に、長編は早川書房に送る、という使い分けができます。電子書籍としてセルフパブリッシングを行い、それが売れ、出版社からのスカウトで紙本が出て、本格的に紙本の世界でプロ作家になる方もいます。趣味で書いていたWeb小説が出版社の目に留まり、紙本で出版されてプロ作家になる方。Web小説の公募に出して入選、そこから紙出版を経てプロ作家となる方。Webでの活動と投稿、あるいはプロ活動を並立させている方。別の分野で既に業績をお持ちの方なら、いまでも原稿の持ち込みが有効な場合もあります。幅広い選択肢があるのは、書き手にとってありがたいことです。私がアマチュアだった頃には、紙媒体で商業ベースに載せるためには新人賞への応募しか道がなく、これでだめだったらあきらめるしかない、という状態でした。持ち込みは、普通の書き手が採れる選択肢ではなくなっていました(成功するのは特殊な例で、一般の書き手が採れる手段ではなかった。これはいまでもそうなので、検討しておられる方はご注意下さい)
90年代当時の選択肢の少なさに関しては、悔しい想いをした同世代の方、少し上の世代の方は結構おられるのではないかと思います。早川書房主宰のSF新人賞(旧:ハヤカワ・SFコンテスト)が終了した直後(92年に終了)だったので、SF専門の新人賞が消失した時代でもありました。『SFマガジン』のショートショートSF公募「リーダーズ・ストーリィ」はまだ続いており(2013年に終了)『異形コレクション・シリーズ』(編纂:井上雅彦さん/光文社文庫)が一時期公募を行ったことはありました。一般雑誌でのショートショートや短編の公募、ファンタジー方面の公募まで視野に入れれば、SF的な作品を提出する機会自体はあったのですが、そこから商業作家としてジャンルSFで身をたてるには並々ならぬ苦労が予想される時代でした。いっぽう、新興分野であったライトノベル系の応募先に活路を見出し、頭角を現してきた若い書き手もたくさんおられました。ライトノベル・レーベルで書いていた時代から「これはSFだ」とはっきりわかる書き手は何人もいて、新しい波は明らかにそこから起きていました。(*2)
ですから、1999年から小松左京賞(主宰:角川春樹事務所)の公募が始まったとき、私のようなクラシカルな作風の書き手は本当に助かったわけで、たぶん、あの賞が開催されていなかったら、自分はSFを書くための場を確保できていなかったでしょう。同時期に日本SF新人賞(主催:日本SF作家クラブ/後援:徳間書店)もありましたが、自分の作風は小松左京賞のほうだと判断していたので、私にとってSF作品の応募先は左京賞一択でした。
前回書きました通り、私は短編と長編の書き方にあまり区別がないので、アマチュア時代は、短編の賞があればそこへ応募し、長編の賞があればそこへ応募していました。小松左京賞は長編SFの公募賞だったので(私が応募したときには400字詰め原稿用紙換算で800枚まで受け付けていました。のちに600枚ぐらいまで制限されましたが)短編よりも長編のほうが評価されてのデビューです。前回掲載した著作リストを見て頂くとわかりますが、ごく単純にタイトル数だけでいえば、私の作品は短編と長編が半々ぐらいの割合です。ただ、自分で書きやすいと感じているのは長編のほうです。私は「終わらない物語」というのが好きで、できれば作者の死と共に物語が終わってしまうような、そういう長い長い物語を書きたいのですが、ただ、これは昨今なかなか売りにくくなっている形式なので、途中で適当に区切りをつけながら、シリーズを転がしているのが現状です。こういうやり方をしていると、本来は長い物語でありながら、個々で見ると短編・中編的な性質を持つ作品群になっていたりします。
長い物語が好きなのは、作品世界の中に存在している様々なタイプの人間や生物や異形たちを、なるべくたくさん、詳細に書き留めておきたいという欲求があるからです。現実には存在しないものばかりを集めた「ヒトと異形の博物誌」を作りたいのかもしれません。いっぽう、短編執筆は、その広大な物語世界の中に存在する、とりわけきらりと輝く一個の鉱石を探して掘り出すようなイメージです。その採取した鉱石を、大切に磨きあげていくのが、私にとっての短編執筆のイメージです。
(*1) SF同人誌「ソリトン」は、「活動期間は2年限定。全8巻刊行。メンバーのプロデビューを目指す」という趣旨で運営された特殊な同人誌でした。実際には編集作業の遅れ等で3年ぐらい続いたと記憶していますが、最初からプロを育てることに特化していた集団です。寄稿した原稿がすべて掲載されるという形式ではなく、主宰の堀晃さんが選別したものだけが載るので、ちょっと独特の雰囲気がありました。掲載されなくても堀晃さんからのアドバイスや選評がすべて付くという形式で、これは筒井康隆さんが主宰していた「NULL」の方式に倣ったものです。
(*2) このあたりの事情について、私は完璧に把握しているわけではないので、抜けている情報に関してはご容赦頂ければ幸いに存じます。小説の歴史に関しては書評家や評論家の方のほうが詳しいので、既刊の特集本などをご参照下さい。このブログでは、あくまでも、私個人の体験談について語って参ります。同時代の作家さんのお名前を具体的に出していないのは、そのためです。