『華竜の宮』では、作中、大災害が二度にわたって発生する。
プロローグと、第一章以降に発覚する現象の二回に分けたのだが、勿論、これは意図的な構造で、意味なく二度起こしたわけではない。
本作の刊行時に、「これは世の中に多くある災害前や災害中を描いた作品でもなく、災害後の作品でもなく、『間災期』(※大災害と大災害のあいだの期間という意味)を扱った作品だ」と言って下さった読者の方(どこかの大学関係者だったと記憶)がおられて、とてもありがたかった。厳密に言うと、同時期に間災期を扱った作品としては、小川一水さんの『復活の地』(ハヤカワ文庫・全三巻)が先行作品としてあったのだが、世間的には「復興小説」と呼ばれており、「間災期」という言葉は自分の作品への書評で初めて目にした。これは勿論、地球科学用語である「間氷期」をもじった言葉だ。評して下さった方は、ふだんから科学に興味をお持ちの方だったのだろう。
ところで、二度目の大災害は人類が滅亡するレベルなので何をやっても構わなかったのだが、準備が難しかったのは、プロローグで起きる「大規模海面上昇を伴った災害」のほうである。西村さんとのやりとりでも、ここに、最も時間がかかった。この段階で人類が滅亡しかけるとストーリー展開が意図したものから外れてしまう(文明が極端に後退すると困る)ので、加減が必要だった。西村さんはいろんな現象を教えてくれて、山体崩壊とかメガ津波とかものすごい話もしてくれたのだが、そこまでやると日本人が滅びてしまうので、大陸棚の崩壊によって太平洋側の沿岸地域が壊滅するだけに留めた。重要なのは大規模海面上昇のほうなので、ある程度は日本に経済力や人口が残ってくれないと、後々の海上都市建設の話やテック系の話で物語をつくれなくなってしまう。
マントル内から水を分離するには、含水鉱物層をホットプルームで温めるのが一番いいとわかったが、これを行っても海に水が戻るわけではなく、マグマができるだけである。仕方がないので、ホットプルームで海洋底を持ちあげて白亜紀の状態に戻すという方法を選んだ。これとCO2による地球温暖化の合わせ技を使うと、260メートルまで海面上昇できる。すると、ユーラシア大陸で標高の高い地域が結構残った。この設定はうまく使えるなと、ピンと来た。アジアを物語の中心に持ってきたかったので、これはとても都合がよかったのだ。
そして、せっかく出来上がったマグマがあるので、これをどこかに噴出させましょう――となった。西村さん曰く、海底よりも陸上でマグマの噴出があったほうが地球全体に与える影響が大きいという。地球惑星科学を扱うなら、地中の話だけでなく気象も扱うべきだろうと考えていた私は、このアイデアを選択することにした。
大規模海面上昇が起きると、当然、気象も影響を受ける。また、海面上昇というのは、都市が水没するだけでなく、塩害や海側からの侵食でさらに土地が削られていくので、単に260メートル水位が上がっただけの地形にはならず、もっと複雑な様相を呈していく。地形が常に変化し続けるのだ。
この作品の冒頭に海没後の地図を掲載しなかったのは、これが理由である。地図を置くと、読者の頭に「固定した地形」のイメージを植え付けてしまうことになるので、そうではないことに気づいてほしかったのだ。気象が地球全体に与える影響は、ぴしっと正確に回答を提示するのが難しい。地球規模の大変動を「こういう条件があれば必ずこうなる」と正確に提示するのは、現在の科学では不可能である。読者も著者も、資料を使いつつも、自由に想像してよいのだ。
最もわかりやすい資料は、標高ごとに色分けされているタイプの地球儀である。地図よりも地球全体の様子を正確に把握できる。私はこれ以外に、ラ・メール海洋タイプ地球儀というものを持っていて、これは海流や海溝などがすべてわかる「海球儀」とも呼ぶべき教具で、オーシャンクロニクル・シリーズを執筆する際には必須の品で、現在でも購入可能である。
●渡辺教具製作所
https://blue-terra.jp/products/2605.html