(26)~(27)【著者記録: 2003-2023】『華竜の宮』刊行へ向けて (4)

短編集『魚舟・獣舟』は2009年1月に発売された。同月内からすぐに増刷がかかり、その後も繰り返し増刷がかかった。いい条件で何度もブーストがかかったおかげで、私の作品の中ではいまでも最も増刷回数が多い作品である。これは当時よく言われていた「SFは売れない」という世間での噂とは、まったく正反対の現象だった。なぜ、このような幸運に恵まれたのだろうか。思いあたる理由を、いくつか書いておく。

 ・前にも書いた通り、光文社にはSF専門の部門はない。だが、文庫担当編集者はこの本を出すときに、帯にはっきりと「SF」というキャッチコピーを入れてくれた。本が出てから初めて知ったのだが、担当編集者が「どうしても帯に『SF』の文字を入れたい」という信念をお持ちの方で、この判断に踏み切って下さったのだ。
  これに対する一般読者からの反発や忌避は、私が観測した範囲内ではゼロだった。勿論、個々の好みの問題はあるので、短編集自体が面白いとか面白くないとか、そういったところでの意見の相違はあったが、それはどんなジャンルの誰の作品でも起きている現象だ。また、担当編集者以外の光文社の社員や編集長から「SFという宣伝文句を帯に入れないでほしい」とは一度も言われなかった。いま現在に至っても、光文社の中で仕事をしている分には、まったく聞かない。

 ・上記のように増刷がかかり続けた理由は、勘のいい読者の方なら、すぐに思いあたる節があるだろう。
  そう、「良心的なSFファンの反応に、一般読者の好意的な反応がプラスされると、その相乗効果によって本の評判が一気に拡大する」のである。ここで言う一般読者とは、「ふだんSFを集中的に読んでいるわけではないし、コアなSFファンでもないが、面白いSFがあるという評判を聞きつけると手にとってくれる方々」である。基本的には、子供時代から漫画やアニメを通して自覚がないままにSFに慣れており、SF作品が世間に存在することを当たり前として育った世代だ。私自身も含めた、1960年代後半以降から今日に至るまでの生まれの世代となる。活字SFだけでなく、実写・特撮映像作品、漫画、アニメ、あらゆるジャンルから「SF的なもの」を摂取した(大人になっても、リアルタイムで摂取し続けている)世代。
  良心的なSFファンの好意的な反応が呼び水となって、一般読者が参入してくる――この形は、小松左京さんたち第一世代の作品が70年代に売れていた状況とよく似ている。
  一般読者はSFを読まない、というのは先入観や固定概念にすぎない。みんな「面白い作品」が出てくること自体には期待しており、どこかでそれが「面白い」と評判になれば、SF作品であっても普通に手にとるのだ。

 ・『魚舟・獣舟』に関しては、上記の「SFファンと一般読者の反応」が、さほど時間差なく、ほぼ同時に起きた。その理由のひとつは「文庫」で「短編集」だったことと、異形コレクション掲載作を集めた作品集だったので、SFよりもホラーの様式に近かったことが、とても大きいのではないかと思う。無名の作家の作品を試しに読んでみようとするときに、判型的にも金額的にも、短編集は、ちょうどいい形態だったのだろう。
  ホラーに関しては、90年代後半から起きた国内ホラー作品の大ブーム(鈴木光司『リング』シリーズ、瀬名秀明『パラサイト・イヴ』、貴志祐介『黒い家』等々)によって、ホラーが備えていたコアなファン向けという雰囲気が、誰もが楽しめるエンターテインメントとしてイメージの転換が起きたのが、とても大きかったのではないだろうか。2000年代以降、ホラーは、完全に定番ジャンルとして安定期に入った印象がある。『魚舟・獣舟』も、表題作だけでは、ここまで受容されなかったのではないか。「くさびらの道」との二本立てで評価されたこと、殺人犯の少年時代を描いた「小鳥の墓」が書き下ろしで収録されたことが、本の動き方に、とても効果的に働いたように思える。

『華竜の宮』の完成には丸三年ほどかかった。同期間内には、デビュー作(『火星ダーク・バラード』)の改稿と、短編集『魚舟・獣舟』の執筆も重なったので、2007年から2010年秋にかけてはかなり忙しかった。書き下ろしは、執筆のための時間配分が自由だが、いったん書き上げたものを何度も直す手間は、読み切り短編や連載原稿と変わらない。結局、同じぐらいの手間がかかってしまう。執筆途上で、一度、パソコンがクラッシュして大変な目に遭ったりもした。
 
刊行年に日本SF大賞の候補になった『魚舟・獣舟』は、受賞はしなかったので、翌年3月に公表された選評(徳間書店の文芸誌「読楽」に掲載)を、私はリアルタイムでは読んでいない。『華竜~』の原稿が完成間近に迫っていたので、選評を読んでしまうことで、それが執筆中の原稿に影響してしまうのを避けたかったのだ。
(選評は『華竜~』の執筆を完全に終えてから読み、このやり方が正しかったことを実感した)
 
短編集『魚舟・獣舟』は、SFジャンル内では、表題作の「魚舟・獣舟」と「くさびらの道」が言及される機会が多かったが、ジャンルSF外の読者の反応は少し違っており、書き下ろしの「小鳥の墓」への反応が熱かった。特に、若い読者が強く支持してくれた。上記のSF大賞の選評会では、「小鳥の墓」をどう評価するのかという点で紛糾したらしいが、選考委員と読者とでは、ちょうど正反対の反応が起きていたのだ。
 
これは私の作品ではかなり異例な出来事だった。また、熱く支持されたいっぽうで、未成年の暴力を描いた作品でもあるためか、2010年の青少年健全育成条例絡みで「この作品は表現が過激すぎるので規制の対象にするべきだ」と発言する人がいたりして、ちょっとびっくりした。
発言者は若い方ではなく、ある程度、年齢を重ねた男性だったので、女性作家がこのようなものを書くべきではない、というニュアンスもあったのかもしれない。
 
私はデビュー時から、「人間の暴力(精神的・肉体的なものを問わず)」について頻繁に描いている書き手だが、こんなことを言われたのは初めてで、このときには、この国の創作の自由に関して一抹の不安を覚えた。それはともかくとして、どこにも発表の場がなく、この短編集にしか収録できないと思っていた作品を書き下ろしの特性を生かして収録できたことは、本当にありがたく、また、この時点までの自作を総括した一作にもなったのだ。
 
作品として完成することもできて、読者も受容してくれたので、このとき「いずれは未成年ではなく、大人を主人公に同系統の作品を発表できれば……」と新たな目標を置くことができた。後にそれは、日中近代史を題材とした一作品(『上海灯蛾』)として結実する形となる。
 
「小鳥の墓」は、日本での刊行からさほど経っていない頃に中国の翻訳者も読んで下さった。「ぜひ中国語に翻訳して、中国の読者に紹介したい」とまで言って下さって、大変うれしかった。最終的には、10年以上経過した後に本当に中国語に翻訳されて「科幻世界」に掲載となったのだが、すると、すぐに中国の若い読者からも日本の読者と同じく熱い反応が返ってきた。国や思想が違っても、何か、若い方の心をつかむものがこの作品にはあるらしい。
 
私はデビュー作以降、アウトサイダー的な人物を主人公にすることが多く、そういった作風がこの作品で頂点に達してしまったので、「では、そろそろ、インサイダーな人たちの物語を書いてみようか」と思っており、その要素を強く反映させていったのが『華竜の宮』だった。
(この話は「SFマガジン」に掲載された著者インタビューでも言及した)
「魚舟・獣舟」と「華竜の宮」は、短編と長編の違いでよく比較される作品だが、気分的な切り替えという意味で、著者としての分岐点となった時期でもあった。