とりあえず大長編海洋SF(タイトルは『華竜の宮』とした。このタイトルの由来については、後々語る予定)の引受先が決まってほっとしたものの、その前に、まず光文社が出してくれる個人短編集の仕事が先にあったので、同時進行でこの二つを進める形になった。
2008年の段階で手元にあった短編は、異形コレクションに掲載された「魚舟・獣舟」「くさびらの道」「真朱の街」「饗応」。これにデビュー直後「小松左京マガジン」に寄稿した「ブルーグラス」を足しても、一冊の本として刊行するには枚数が足りない。異形コレクションへの寄稿作品は、だいたい40~50枚前後と決まっており(※これは現在も変わっていない)このうち「饗応」はショートショートで、たったの10枚。担当編集者と相談して、残りのページを埋めるために書き下ろし中編を一本加えることになった。書きたい内容は既に決めていた。ホラー作品ばかりを集めた本なら、この作品を入れても不自然にならないだろうと考えていた。この短編集に入れる以外、他には発表手段がないと判断していた作品。どこの出版社も引き取ってくれないだろうと考えていた作品。それが「小鳥の墓」だった。
「小鳥の墓」は、私のデビュー作である『火星ダーク・バラード』の前日譚としての位置づけになるが、単独で読んでも意味が通る作りになっている。この頃には、ダーク・バラードを文庫化する際には細部を修正し、「小鳥の墓」と辻褄が合うようにしようとも考えていた。この作業によって『ゼウスの檻』とも少しだけつながり、初期三部作として、ひとつの世界にするつもりだった。
光文社の担当編集者に相談したところすぐに許可が下りたので、『華竜の宮』の作業を進めつつ、「小鳥の墓」を書き下ろす作業に着手した。
短編集の刊行準備を開始した2008年は、10月でデビュー作刊行から5年となる計算で、受賞作に関する諸々の契約が切れる時期だった。出版権だけでなく映像化権を含めた二次使用に関する諸々の権利が、版元である角川春樹事務所から離れることになっていたのだ。
通常、出版契約は3年ごとの更新となるが、小松左京の受賞作に関しては5年だった。契約が切れると、デビュー作を他社から文庫化することなども可能になる。文庫化時期の基準は、この頃は3年程度だったので(いまは早いと2年ぐらい)、5年というのは、かなり余裕をもたせた契約だ。角川春樹事務所にあらためて確認してみたところ、文庫化は自社で計画しているので契約はこのまま更新してほしいと言われた。
このとき、デビュー時の担当者は既に角川春樹事務所を退職していたので、新たな担当編集者との相談となり、『火星ダーク・バラード』の文庫化作業もこの時期から始まった。「小鳥の墓」の執筆、文庫版のための『火星ダーク・バラード』の改稿、『華竜の宮』の執筆、これが一時期に集中する形となったが、この頃は、執筆スケジュールにまだ余裕があった。連載を一本も持っていなかったからだ。小説の雑誌連載など、大人気作家がやることで、自分にはその機会など回ってこないだろうと思っていた。