(18)~(19)【著者記録: 2003-2023】異形コレクションの時代 (1)

現在、光文社文庫から刊行されている異形コレクションシリーズは、1998年に廣済堂文庫での刊行でスタートした。当初からSF作家の寄稿が多かったのは、90年代の活字SFの出版危機への対策でもあったからだと聞く。廣済堂文庫の頃は、書店だけでなく、コンビニの本棚に置く販売戦略で大いに売り上げを伸ばした。瀬名秀明さんの『パラサイト・イヴ』や鈴木光司さんの『リング』シリーズの影響でホラー小説に注目が集まっていた時代だったので、SF作家が手がけるホラーにも需要があったのだ。
 
アンソロジー編纂者の井上雅彦さんは、「『異形コレクション』におけるホラー作品の定義」をかなり幅広くとっていた。リリカルでファンタスティックな作品や、幻想小説までも含めて歓迎し、この傾向はいまでも変わらない。
異形コレクションシリーズには「闇を愛でる書き手や読み手のための作品群」という形容がしっくりくる。ごくシンプルな意味での horrorや suspenseや shockerではなく、何かひとつ、この世やあの世の闇に対する書き手の撞着が必ず存在し、それが物語を駆動する強い力になっているのが異形コレクション掲載作だと言っても過言ではないだろう。
 
ただ、SFとホラーは別物ではないのかという意見は当時からあり、刊行がスタートした直後の異形コレクションには、そういった方面からの批判もあったと聞く。
「これはホラーではない」という批判が、特定の作品に浴びせられたりしていた。掲載作に対するこの種の批判は、私が寄稿していた2000年代半ばにも、まだ普通にあった。
しかし、SFはもともと、ホラーと親和性の強いジャンルだ。SFとは怖いもの、何かしらの怖い要素を含んでいるもの、という印象を抱いている読み手は結構いると思う。クラシックなSFを読んできた方ほど、これに賛同してもらえるのではないだろうか。ディストピアな社会構造が怖い、人工生物・突然変異生物・宇宙から来た生物の性質や暴れ方が怖い、改造された人類の能力や行動原理が怖い、人間を支配する機械の冷酷さが怖い、太陽どころか宇宙全体が爆発して滅びてしまうような未来が怖い……。巨大なスケールの怖さ。これは間違いなく、SFの大きな魅力のひとつだ。
 
話を元へ戻す。
2006年の春、突然、井上雅彦さんからメールが来て、次巻、異形コレクション「進化論」に寄稿してほしいと依頼されたのは前回書いた通りである。枚数は40枚前後。お題に沿った内容なら、何を書いてもいいという。私はSF作家としてデビューした書き手なので、ホラー色のあるSFならどんなふうに自由に書いてもいいとのことだった。
 
すぐに引き受けますと返事をして、発表のあてがなくて困っていた大長編海洋SFから「生きている船」という要素だけを切り出すことにした。
当時、この船にはまだ名前がなかった。
人が居住して海を渡るために使うという性質は決めていたのだが、しっくりくる名称を思いつかず、そこは保留としていたのだ。
異形コレクションからの依頼をきっかけに、この船につける名前を考えた。
それまで単に「生きている船」としか考えていなかったこの存在が、「進化論」というお題と相まって、生物としての個性を急速に獲得していった。「魚舟」「獣舟」のネーミングは、そうやって頭の中に降ってきた。この少し前に、和歌山県の海で不思議な海洋微生物が新発見されたニュースがあって、その海洋微生物は、分裂時に植物型と動物型に分かれる奇妙な生きものだった。これが「特殊な双子として生まれてくる舟」というアイデアとして、「生きている船」のイメージに合流していった。
このあたりの話は、以前、東京創元社の「紙魚の手帖」でのインタビューでも話したので、いまはネット上でも読める。
http://www.webmysteries.jp/archives/29428239.html
 
SFやファンタジーの書き手は、必ず視覚的なイメージを想像しながら書くと想像している読者は少なくないだろうが、活字SFに限っては、言語そのものの心地よさが具体的なイメージよりも先行する場合がある。その人の中では、具体的な物の形よりも「SF的なアイデアを表現する言語そのもの」が先行して存在しているのだ。一種の抽象的思考・哲学的思考と呼んでもいいかもしれない。
この性質が、SF小説に一種独特の読みにくさを生じさせているのも確かだが、純粋に言語だけが作り出す「余白」に魅せられる書き手・読み手がいることもまた、このジャンルの特徴だと言える。
映像作品や漫画ではなく、どうしても活字SFを読みたい・書きたい、と渇望する人の中には、純粋に言語そのものから生まれる異様な雰囲気や、陶然とするような、めくるめくイメージに憑かれている人が多いと思う。私は具体的なイメージが頭の中に湧きやすいタイプの書き手だが、場面によっては言語の抽象性を優先させて書く場合がある。魚舟、獣舟のときには、言語の響きそのものが持つ心地よさ(ネーミングの心地よさ)を優先したので、舟自体のデザインよりも、まず、この名前のほうが先に思い浮かんだ。名前をつけてから、「それはどんな形をした舟なのだ?」と想像していったのだ。具体的なイメージをあまり描かないほうが、読者ごとに多様な想像力が働き、面白いはずだとも考えた。