私が作家デビューした2003年当時、出版社は「自社でデビューさせた作家の本は3冊目までは面倒を見る」という暗黙の了解があると関係者から聞かされていた。私も3冊目までは角川春樹事務所から著作を刊行して頂くことができた。分野や売上額にもよるが、いまはもっと厳しく、受賞作だけ出して終わり……というのが当たり前になった。2000年代初頭は、現在(2023年)よりはマシだったわけだが、1990年代と比べると初版部数は激減しており、出版業界の冷え込みは程度を増していくばかりだった。
角川春樹事務所には2005年まで連続してお世話になったのだが(その後は受賞作の文庫化も含めて、ぱらぱらと単発的にお仕事が続くこととなる)この間、SF出版をめぐる状況にはかなりの変化が訪れていた。
2002年4月から早川書房が刊行を開始した「ハヤカワSFシリーズ Jコレクション」は、国内SF作家の作品を専門に刊行するレーベルとしてSF界で大きな話題になったが、小松左京賞を主催していた角川春樹事務所は、2005年あたりから方向転換が始まり、自社でデビューさせたSF作家のSF作品を刊行することに消極的になりつつあった。私はSFを書きたかったので小松左京賞に応募したのだが、編集部から「3作目はSFではないものを書いてほしい」と言われ、ちょうどその頃に角川春樹氏が「これからはグルメ小説の時代だ!」と宣言していたので(前にも書いた通り、その後、角川春樹事務所は、グルメ小説で大ヒットすることになる『みをつくし料理帖』シリーズを刊行し始める)私もこれに乗っかる形で洋菓子小説の原稿を書いてお渡しし、これが終わったあとは、家庭の事情もあって一年ほど休筆することになった。
休筆のあいだも、私はずっと「SFを書きたい」「どうしてもSFを書きたいんだよなあ」と思いながら、発表するあてのない大長編の構想を、ノートに少しずつ書き溜めていた。SFではない原稿がほしいと言われたので長篇SFの発表先がなくなってしまい、「早川書房は持ち込みを受け付けてくれるのかなあ」「でも、あそこは知っている編集者がいないしなあ」「SFじゃなくてファンタジーに改変して、中央公論社のノベルズ部門にでも送ってみるか」「でも、せっかくのSFアイデアをファンタジーに変えてしまうのは惜しいな……」などと逡巡する日々を送り続けた。この大長編の構想とは、のちにオーシャンクロニクル・シリーズとなる作品群の原型である。
発表のあてがなくても、構想ノートづくり自体はとても楽しかった。もともと私は読者がいなくても原稿を書けてしまうタイプの書き手なので、こういった密かな下地づくりは楽しくて仕方がなかったのだ。
「海上生活を営む漂海民」のアイデアで初めて作品を書いたのは1996年、アマチュア時代である。このときには生物船ではなく、普通の機械船を筏のようにつないで暮らす海洋民族を描いた。陸上生活する医師が風土病の治療方法を求めて、その病気の抗体を持つ海洋民族と契約して血液サンプルを採取することになる。この契約における交換条件として、船団で臨時の医師として働く話だ。海には海の病気や怪我があるからだ。
SF作家の堀晃さんがこの作品を面白がってくれて、「あなたは、もうなんでも好きなものを書いていなさい」と仰って下さった。
後年、これがどういう形でオーシャンクロニクル・シリーズに反映されていったのかは、シリーズをすべて読んでいる方には納得して頂けるかと思う。
漂海民というのは現実に存在する民族で、有名なのはバジャウ族だが、日本でも近代まで瀬戸内海に存在した。部分的には陸との交流も持つという、地球上のあちこで見られる生活様式である。SF・ファンタジー系のフィクションでは、アーシュラ・K・ル=グウィンの「ゲド戦記」シリーズに登場する「いかだ族」が、ジャンル小説内では最も古く、有名ではないだろうか。
1990年代当時から、私は「海洋惑星を舞台にした長編SFを書きたい」という強い想いを抱いており、前述の構想ノートは、ここを出発点として始まった。構想し始めるとあっというまに大長編のベースが出来上がり、これは、新人賞に応募できる枚数には収まらないことは明らかだった。そこで、このアイデアはいったん保留とし、新人賞(小松左京賞)応募用の別原稿を書き始めたのだ。
だが、無事にSFを書く作家としてデビューできてからも、先に記したような事情から、新人作家には大長編SFを執筆するための機会など、まったくめぐってこなかった。
当時の海洋SF分野の先行作品としては、2002年に朝日ソノラマから刊行された小川一水さんの『群青神殿』があり、「ハヤカワSFシリーズ Jコレクション」からは藤崎慎吾さんの大長編海洋SFが出るらしい――という話を知り合いから聞かされていたので(のちの『ハイドゥナン』のことである)これは、ぐずぐずしていると新人作家の私など発表の機会を失ってしまうぞ……と焦りを覚えた。
以前、私は、SF関係の編集者から、こんなアドバイスを受けたことがある。
「この業界では、同じネタで書く作家が先に作品を発表した場合、後続の作家は、3年間はそれと同じネタでは書けないと思っておいて下さい」
海洋SFは、面白い題材や新しいアイデアが、どうしてもかぶりがちになる傾向がある。もしかしたら大長編のアイデアは、発表先がないままに全ボツになるかもしれない……と考えるようになっていた。
ところが、突然、ここへ救いの手が差し伸べられた。
2006年。
なんの前触れもなく、ホラーとSFとアンソロジーの編纂で著名な作家・井上雅彦さんから電子メールが届き、「『異形コレクション』シリーズに寄稿してもらえませんか」と訊ねられたのだ。
異形コレクションシリーズは、毎回決まったテーマで大勢の作家が書き下ろし作品を発表する特異なアンソロジーで、表向きはホラーの看板をあげていたが「少し不思議な話」「奇妙な話」でも受容する懐の広さを備えていた。そのため、ホラー作家だけでなく、SF作家が原稿を依頼されることも多かった。
初依頼で私が頂いたテーマは「進化論」。進化論といっても科学小説のアンソロジーではないので、そこは、現実離れした奇っ怪な物語であればあるほど喜ばれるのである。
迷うことなく仕事を引き受けた私の頭に浮かんだのは、「これで、あの大長編SFの一部を短編作品の形で発表できる!」ということだった。