(9)【著者記録: 2003-2023】「受賞前後のあれこれ (2)」
小松左京賞の選考過程は、紙の雑誌ではなく、角川春樹事務所の公式サイトで確認することになっていた。毎年5月末に応募が締め切られ、6月初旬に一次選考の結果発表、7月初旬に二次選考の結果発表(このときに最終候補作が決まる)、8月末に受賞作決定という流れである。
最終選考に残ると、角川春樹事務所の編集者から電話がかかってきて、最終選考の日時の連絡がある。結果が出る頃に連絡がとれる先を教えてほしいと言われた。電話連絡は、受賞しても落選してもかかってくる。受賞した場合には、授賞式に関する連絡や単行本化作業に関する打ち合わせがすぐに始まるのだ。
2003年に最終選考に残ったとき、選考会の日時を教えられ、17時頃に結果が出ますのでと角川春樹事務所の編集者から言われた。当時住んでいた家はダイニングのすぐそばに固定電話機があったので、テーブルにノートパソコンを置き、ネットを巡回しながら連絡を待った。
新人賞や文学賞の選考会は長引くこともあるので、17時と言われても時間がかかるだろうと予想していたが、予定の時刻を一、二分過ぎたところで、もう電話が鳴った。「早っ!」と思ったと同時に、「あ、これは受賞かも」と直感した。というのは、ごく当たり前の話だが、連絡は受賞した人から先に来るからだ。
電話に出てみると、やはり「おめでとうございます」と言われた。受賞が現実になってしまうと、びっくりする感じはあまりなく、すんなり腑に落ちて、落ち着いて今後の予定について話をうかがうことができた。
ところで、小松左京賞に関しては、授賞式や単行本の打ち合わせ以外に、もうひとつ重要な用件があった。受賞者は毎回、小松さんと対談することになっていたのだ。私が受賞したときも、9月3日15時に、大阪の千里中央にある「千里クラブ」(※いまは、もうない)の一室に来てほしいと言われた。
先行する3回の対談記事で、受賞者がどんなふうに小松さんと話をするのかは知っていた。だが、こればっかりは、自分のこととして考えてもなかなか実感を得られなかった。小松さんと直接お目にかかって対談する――それ自体は夢のような話だが、何を話していいのかわからない。
小松さんが私の作品をとても喜んでいた、という話は、受賞の電話を頂いたときにあらかじめ聞かされていた。だが、具体的にどのような部分を喜んで下さったのか、このときには想像もつかなかったのだ。