さて、ここからは、小松左京氏を「小松さん」と記すことにする。伝聞や書籍などの引用ではなく、主に、私の直接の体験を書いていくからである。私たちの世代のSFファンは、お気に入りのSF作家を「先生」ではなく、「さん」付けで呼ぶことが多い。作家に対する愛情を示す習慣みたいなもので、星新一氏は「星さん」であり、筒井康隆氏は「筒井さん」なのだ。
私が小松左京賞でデビューしたのは2003年だが、前年の2002年にも同賞の最終候補に残り、このときは残念ながら入賞を逸した。それまで出版社が主催する文芸新人賞で最終選考に残った経験は一度もなく、一次選考を通ったことすらなかったので、本当に驚いた。これはもう小松左京賞に全力投球する以外にないのではないかと直観し、他の賞への応募は一切考えなくなった。自分は日本SF新人賞よりも小松左京賞向きなのだと確信した瞬間だった。このふたつのSF新人賞には微妙なカラーの違いがあった。版元や主催者が違うというだけでなく、応募作品の傾向に違いが見られたのだ。
2002年の最終選考で落ちたあと、次回の応募へ向けて原稿を書いていた一年間は、とても楽しかった。子供の頃から尊敬していた小松さんに原稿を読んでもらえて、その名前がついた賞で最終選考に残った――そのことだけで、次の作品を書く気力が湧いてきた。
新人賞を担当している編集部は、最終選考に残った著者には、必ず、翌年も応募してほしいと熱望しているそうだ。最終選考には運が大きく絡むので(たとえば例年だったら受賞するはずの作品が、強力な作品が他にあるだけで落選となるのは珍しくない)だから、同じレベルの作品を書き続けられる著者ならば、いつでも原稿が欲しいと考えているのだ。新人賞の最終選考に残ったときには、翌年、必ずまた同じ賞に応募するのがよい、と言われるのはこれが理由だ。編集部や下読みの記憶が新しいうちに、たたみかけるように新作を送って読んでもらうのである。そうすれば編集部は「短期間で、一定のレベルを保って書ける人」として評価してくれる。ただ、前年度よりもよくできた作品でないと受賞は無理なので、そこは心してかかってほしい。そして、この方法をとれば絶対に受賞するかというと、そうでもない。読む人へ編集部との相性もあるから、この作戦が通じない場合もある。某賞の最終選考で落ちた作品をそのまま別の賞に送ったら受賞した、という例もいまではたくさんあり、時と場所が変わると評価されるのもまた事実だ。どう判断し、どう行動するかは、すべて応募者の考え方ひとつにかかってい。
私は小松左京賞で落ちた作品を日本SF新人賞に回すことはまったく考えず、小松左京賞だけに集中しよう、他の賞のことは一切考えなくてよいと判断し、すぐに2003年の応募に向けて新たな原稿を書き始めた。当時はワープロ専用機ではなく既にパソコンのエディタで書く時代になっていたが、400字詰め原稿用紙換算800枚の原稿は、プリントアウトするとものすごい厚みになり、マチ付きA4書類袋に入れてガムテープで封をしたときの重さをいまでも昨日の出来事のように思い出せる。
応募封筒の表には必ず赤ペンで「応募原稿」と書かねばならない決まりがあり、郵便局へ持っていくとそれを受付にいる人に見られてしまうので、妙に恥ずかしかったこともよく覚えている。