「小説宝石」に連載して単行本化された作品は、発売の翌月に、著者が自著を紹介するエッセイが掲載されます。私も執筆しましたので、今月(2月22日頃に発売)の「小説宝石」3月号に載ります。雑誌を入手できなくても、この記事はネットに転載されますので、ご安心下さい。掲載のタイミングは、随時、公式サイトで告知致します。しばらくお待ち下さい。
さて、私は小松左京賞というSFの賞でデビューしたので、いまでもSFの原稿依頼があれば執筆しますし、自発的に執筆中のSF小説もあります。なので最近は、インタビューなどで、「SF小説と歴史小説を書くときの、違いについて教えて下さい」と、質問されることが増えました。
ひとことで答えてしまうと、私の場合、違いはほとんど感じていません。両者の執筆手順は、とてもよく似ています。特に、資料を咀嚼する際の方法論に、共通性があるように感じられます。
唯一異なる点は、SFは自分の好きな未来を作れるが、歴史小説は事実に関するデータが最も重要なので、基本的にそこは動かさない。もし、史実から大きく動かして物語を展開する必要がある場合には、「なぜこの手法が必要なのか」「どうして、こう書かなければならないのか」ということに、書き手は明確に答えられなければなりません。誰かに質問されるよりも前に、原稿を書き始めるよりも前に、自分自身がわかっていなければいけません。
「なんとなく」とか、「この雰囲気が好きなので」というのでは、まったく答えになっていません。書き手の歴史に対する考え方が、とても厳しく露わになるのが、「あえてSFとして、実在の歴史を題材にしたとき」でしょう。
フィクションであるとはどういうことなのか、フィクションの中で史実を扱うとはどういうことなのかという部分を、常に問い続け/問われ続けねばならないのが、SF作品に限らず、歴史を扱った作品の宿命です。
SFでの「歴史の扱い方」は、著者や作品ごとにまったく異なります。ひとりの著者の作品群の中でも、作品によって姿勢が違っていることがあります。
「史実はまったく動かさず、それを背景に、架空の技術・架空の人物・架空の物語を描く方法」「史実をモデルにしているが、簡単にそれとはわからないように、物語・登場人物とも完全に架空にする方法」「史実を、SF的発想やSF的小道具によって改変する(歴史改変SF)」等々。
ジャンルSF内で最もポピュラーなのは、歴史改変SFのスタイルでしょうか。
読者の好みも人それぞれなので、すべてを同じ評価軸では語れません。
歴史を扱っているSFが、「必ずしも、歴史改変SFと呼ばれるジャンルと同型ではない」ということも重要で、評価する側には慎重な分析力が求められます。
私自身は、史実の部分を動かさない手法が好きなので、歴史を扱うときには、SFから離れて、普通の歴史小説を書くようになりました。両者の読者層は、重なる部分もあれば、重ならない部分もあります。
そのいっぽうで、短編では、まだSF色のある歴史ものも書いています。
目下のところ、この書き分けは、読者にとっても、作品を選び分ける際の、よい目印となってくれているようです。
『播磨国妖綺譚』では、積極的にファンタジー要素を取り入れ、あまり書かれることのない、室町時代の地方に住んでいた庶民の生活に焦点をあてています。都(京都)の話ではなく、この時代の地方の話を書く際に、これは非常に利点が多いことに気づいたのです。こちらの作品については、単行本化された際に、また話します。
(※この項、続きます)