6月に第159回直木賞候補作として、拙作『破滅の王』(双葉社)が選出されて以来、大勢の方からご声援、ご支援を頂いてきました。最初の一報が流れた瞬間から、情報を拡散して下さった読者の皆様。既に店頭からは消えていた時期にあたる本なのに、すぐさま取り寄せて特設コーナーに並べて下さった書店員の皆様。読書系サイト・シミルボンで、繰り返し本書を取りあげて下さったスタッフの皆様。このニュースを受けて、初めて、私の作品を読んで下さった読者の皆様。選考会当日まで応援の声をあげ続けて下さった多くの皆様に、あらためて御礼申し上げます。ありがとうございました。
非ジャンル系の文学賞の候補になるのは初めてだったので、自著が、こんなに大きく取りあげられたのは驚きでした。本の売れ方も含めて、「これが『普通に本が売れていく状態』なのか」と目を見張ったり。
選考会が終わりましたので、私の本は、もう全国の主要な書店の店頭からは撤去され、ほとんど残っていないことでしょう(※7.27追記:在庫検索などで、まだ店頭に在庫があると表示された場合には、たぶん、一般書の棚ではなく、SFの棚に置かれていると思います。お手数をおかけしますが、そこを探して下さい)そんな馬鹿なと思われる方がおられるかもしれませんが、これがいまの、書籍流通の現場での現実です。毎月大量の新刊をさばかなければならない書店には、受賞しなかった本よりも、まず売らなければならない新刊が山のようにあります。マイナーな本は、それらに席を譲らねばなりません。これは商業出版に関わっている者にとっては、ごく当たり前の現実です。私は専業作家なので、本が売れなければ生活していくことができず、収入の減り具合によっては、作家としての人生を断念せざるを得なくなりますが、私はあくまでも一次生産者に過ぎないので、書籍流通の世界から消えていくときには、いつのまにか、ひっそりと、沈黙のうちに消え去っていくことを、どうぞ、お含みおき下さい。
そのような事情がありますので、今回、直木賞の候補に挙げて頂いたことは、本当にありがたいことでした。たとえ一ヶ月間であっても、「書店に、新刊でもない自分の本が面陳で並んでいる」のですから。ここから先は、紙版を入手される方は、オンライン書店で購入なさるか(※8.2追記:Amazonで在庫復活しました)、書店のレジで直接注文なさって下さい。紀伊國屋書店ウェブでは、全国の書店の在庫状況を確認できます。地方の書店では、2018年8月現在、まだ若干の在庫があります(→全国・店頭在庫状況確認のページ)。書店で取り寄せ不可と言われた場合には、電子書籍版がありますので、よろしくお願いします。図書館で借りて読んで、気に入ったら紙版や電子書籍版を買って頂くという方法でも構いません。お好きな方法を選んで下さい。読者の方には、そこは、本当に自由に選択してもらいたいので。
ところで、今回、直木賞候補になったおかげで、いくつか、あらためてお伝えすべきことが出てきました。
以下は、それに関する話です。
(1) 候補作の選出期間について。
「候補作の奥付年月日が、選出期間とズレていることに疑問を感じる」という発言があったようなので、お答えしておきます。直木賞の候補作選出期間は、必ずしも、本の奥付年月日とは一致しません。選出期間末ギリギリに出た本は、書店に並ぶのが翌月に入ってからになったり、期限までの内容チェックに時間がとれなかったりするので、奥付が選出期間の最終月日になっている本は、次回選考まわしになることが珍しくないそうです。今回の拙作は、このパターンでした。過去にも同様の例が何度もあり、これは正規のルールであることを、選考側の事務関係の方に確認してあります。
(2) 選考過程の内容について。
私は当事者なので、即日、いくつかの情報を頂くことができました。ニュースなどで流れたものとは違う内容を含んでいるかもしれませんが、ひとつの物事を別の面から見るとこのような表現になる、という意味で、参考にして頂ければ幸いに存じます。
まず、いまでもときおり見かけますが、「SF作家の作品だから(あるいはSF作品だから)直木賞では評価されなかった」というような事実は、拙作に関してはなかったようです。というか、もともと、ジャンルSFとして書いた作品ではないことは、発刊時から告知していたのですが……。
そして、私が想像していた以上に、この作品が歴史を題材として書かれた作品であること(歴史小説であること)を真正面から評価し、なんとしてでも推していきたいと熱い想いで議論を重ねて下さった選考委員が何人もおられたことは、ぜひとも皆様にお伝えしておきたい点です。資料の使い方の正確さや、選ばれた資料の良さについても言及して頂いたり、さらに、史実の上に作られた虚構の強度、言葉の選び方や文章に関するセンスにも高評価を頂き、書き手としての姿勢や、著者が作品の先に見ているものの確かさにまで言及して頂けたとのことで、著者としては望外の喜びという他ありません。
とても評価して頂いたことは本当なので、読者の皆様には安心して欲しいのです。小説家としての私の資質は、ジャンル外でも評価されることが、今回、確かに証明されました。
受賞を逃しても、『破滅の王』という作品の価値が変化したわけではありません。選考前も選考後も、変わらぬ価値がそこにはあります。これは、世の中のすべての本に対して、同じことが言えるはずです。
そして、もし、この先私が作家としてこの世から消え去ったとしても、なんらかの事情で電子版すら読めない状況となりすべての著作がこの世から失われたとしても、戦前のあの時期、上海で、大陸のあちこちで、世界中で、時代に従って呑み込まれていった科学者(理学者)がいる一方で、それがどのような形であったにせよ、時代に立ち向かっていった科学者(理学者)もいたのだという事実自体は、人間の歴史からは消えないし、消しようがありません。私という作家のことは忘れても、どうか、彼らのことを忘れないでいて下さい。あの時代、黙々と働き、時代と闘っていた理学者たちのことを。その行動そのものが、現代までつながる、力強い希望の光となっている事実を。
(※作中では触れていませんが、京大の花山天文台の創設企画を立てたのも、実は、新城新蔵です。のちに、ここの天文台長となった宮本正太郎は、その研究成果から、世界的に有名な天文学者となりました。新城新蔵の功績は、このようなところにも残っています)
長々と書きましたが、今日は、このようなところで。後日、また何か書き足すかもしれませんが、とりあえずいまは、目の前にある原稿締め切りに集中します。
今後とも、よろしくお願い致します。