『三体X 観想之宙』(宝樹/早川書房)読了


 8月20日に、ジュンク堂書店 池袋本店のトークイベントに登壇することになったので、詳しい話はそのときにしますが、『三体X 観想之宙』(宝樹/早川書房)を読み終えました。
(イベント告知のリンク先は下記のURLです)
 https://twitter.com/junkuike_bunbun/status/1544490196283953153


『三体X』は、劉慈欣(リウ・ツーシン)の「三体」シリーズ(『三体』・『三体 II 黒暗森林』上下・『三体 III 死神永生』上下/早川書房)の二次創作小説として、当時まだ作家ではなく、「三体」ファンの一読者であった宝樹(バオシューがネットに投稿し、これが評判になったため、のちに紙出版となった作品です。「三体」シリーズの著者である劉慈欣から、公式外伝として認められています。宝樹はこれをきっかけに、自身も、プロのSF作家として、オリジナル作品を書くようになりました。『死神永生』が中国で刊行されたのは2010年ですから、もう12年も前の話です。

 私は以前から、SF作家としての宝樹に強い関心があり、日本でも翻訳済みの作品をいくつも読んでいたので、『三体X』の日本での刊行を楽しみに待っていました。勿論、事前に、この本を巡って、中国のSFファンのあいだで賛否両論が巻き起こったことはよく耳にしており、その「否」の部分も含めて、ぜひ自分の目で確認したいと考えたのです。

 内容に関する詳細は8月のイベントで話すので、このブログでは、大雑把にしか語れないのですが……。
 『三体X』は、「三体」シリーズの熱狂的なファンである宝樹の「ファンとしての気質」と、のちにオリジナル作品の執筆で発展していくことになる「SF作家・宝樹としての気質」が、同時に発動している作品だと言えるでしょう。

 プロのSF作家となってからの宝樹には、「時間SFの名手」という二つ名があります。宝樹は時間テーマのSFを頻繁に書いており、そのどれもが面白いことから付いた異名です。
 時間テーマのSFは、その性質上、青春小説、歴史小説、宇宙SFなど、さまざまなバリエーションをとることが可能であり、宝樹の時間SFも、実に、バラエティに富んでいます。
 時間テーマと中国近現代史への眼差しが見事に結実したのが、中国SFアンソロジー『月の光』(早川書房)に収録されている「金色昔日」です。プロ作家になってからの宝樹の実力が遺憾なく発揮された傑作です。その他、日本では『時間の王』(早川書房)という時間テーマの短編SFを集めた短編集も刊行されました。宝樹の作品が日本でもたくさん読めるようになって、私はうれしくてたまりません。
 宝樹は、本国では、アンソロジーの編纂にもあたっています。たとえば、彼が編纂した本には、下記のようなものがあります。中国の作家による、11編の短編歴史SFを収録した本です。
 ●『科幻中的中国历史 /三联精选 宝树 编』
 https://www.toho-shoten.co.jp/toho-web/search/detail?id=432951&bookType=ch
 この本に収録されている夏茄(シア・ジア)の「永夏之梦」と韓松(ハン・ソン)の「一九三八年上海记忆」は、日本でも翻訳され、中国史SF短篇集『移動迷宮』(大恵 和実:編集・翻訳、上原 かおり、大久保 洋子、立原 透耶、林久 之・翻訳/中央公論社)に収録されました。宝樹自身の作「三国献面记」は、上記の『時間の王』に収録されています。
 また、宝樹は「新垣平」という別名義で、武侠小説を書いている作家でもあります。
 日本では、早川書房さんが著者紹介ページを作っています。(下記URL)
 https://www.hayakawabooks.com/n/n11c0e8d8f767
 中国では百度百科などに著者を紹介するページがあって、未邦訳の作品を含めた作品リストを確認できます。

 『三体X』は、熱狂的な「三体」シリーズのファンとしての宝樹の「解釈」と、のちに時間テーマを次々と手がけることになるSF作家・宝樹の気質が、一冊の中で、混沌とした様相で立ち現れる構造になっています。「三体」シリーズのアレを、こう解釈するのか!?  という驚きと、ユーモア溢れる笑いのツボ(日本の読者にもウケています)と、そして、宝樹が得意とする時間SFとしてのめくるめく展開が、ものすごい勢いで押し寄せてくるので最後まで一気に読んでしまう。劉慈欣が書いた本家の「三体」シリーズの雰囲気とは大きく違う部分も勿論ありますし、必ずしもすべての要素が均質に噛み合ってるわけではないのですが、これが、中国本国での『死神永生』刊行直後から一ヶ月足らずのあいだに最後まで書かれたという事実には、驚嘆するばかりです。

 現在の中国SF界と中国のSFファンの熱気と、本国でのこの作品を巡る議論の活発さやその質を知るという意味でも、日本での初邦訳は、とても大きな意味を持つことでしょう。

 以下、ひとつだけ、ネタバレに抵触する話を書いておきたいので、文字色を背景と同化して内容を隠しておきます。「(以下、ネタバレ注意)」の部分から下を、PCで読んでいる方はマウスによるクリックで、スマートフォンの方はタッチでカーソルを出して、ずーっと下のほうまで範囲指定して頂きますと、文字が反転表示に変わって読めるようになります。これ、同じ体験をした方が、日本では、私以外にもいると思うんですよね……。

(以下、ネタバレ注意)

 日本で『三体』の第一巻が刊行された直後、私は、ある中国のSF作家が書いた短編SFの中で、三体人の容姿について触れた文章が一瞬だけ出てくるのを読んだことがあります。ほんのわずかな文章です。一行程度。当時、思わず「えっ!?」となりました。もしかして、これは思わぬ形でネタバレを踏んでしまったのではないか、と。
 『三体』第一巻では、この部分に関する描写は一切ありません。もしかしたら、このあとの『黒暗森林』か『死神永生』で明らかにされるのかなと思いながら、その後『黒暗森林』『死神永生』を順々に読み進めていったのですが……劉慈欣が書いた本家の「三体」シリーズでは、この部分に対する言及は、最後まで一切ありませんでした。
 あれっ。本家のシリーズには、この部分はないのか。だとしたら、あの表現はどこが出典なのか。あの短編SFを書いた作家のオリジナルな描写なのかな? と、これについて、私は長いあいだ不思議に思っていたのですが……。
 今回、この謎が、ようやく解けました。
 出典は、宝樹の『三体X』だったんですね(とても納得した)